柳田 国男。 柳田国男 家の話

小林秀雄と柳田国男

丹後 ( たんご )や 因幡 ( いなば )で春亥の子というのも、この二月始めの亥の日であって、共に田畠に出て耕作のまねをした。 すなわちかの黄金の 担桶 ( たご )も、やっぱり瓜のたぐいの瓢であったのである。 信州北部などの実例を見て行くと、これも在来の神を排除して、新たにこうした 新神 ( しんがみ )を迎えて来たのではなく、ただ幾分か田の神の機能を、恵比須風に解釈し始めたというに過ぎぬらしく、家を接し部落を隣して、同じ一つの神を田の神ともまた恵比須ともいう者が入りまじり、祭り方も大よそ元の通りで、大よそ東北などでいう宇賀の神に近く、表の神棚よりもむしろ勝手の方に 祭場 ( さいじょう )を設けている。

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民俗学の父・柳田国男の生家と記念館を訪ねて兵庫県福崎町辻川へ

佐藤健二解説 家族・親族 [ ] 弟・松岡静雄• 年を尋ねると百五六十と答え、 強 ( し )いて問いつめるとかえって忘れたといって教えなかった。 かつて羽前の 尾花沢 ( おばなざわ )附近において、一人の土木の工夫が、道を迷うて山の奥に入り人の住みそうにもない谷底に、はからず親子三人の一家族を見たことがある。

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福崎町立柳田國男・松岡家記念館

これを分類しているとまた話が長くなるから略するが、その一部には越後の 大豆 ( まめ )の木、もしくは奥州の 茄子 ( なす )の木話のように、ある植物の急激な成長に伴のうて、天に昇って行く便宜を得、 乃至 ( ないし )は天の雷神の娘を 娶 ( めと )ったという類の話もあるのである。 ただし壮年の男などはよくよくの場合でないと、人はこれを駆落ちまたは 出奔 ( しゅっぽん )と認めて、神隠しとはいわなかった。

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作家別作品リスト:柳田 国男

」 佐々木喜善君の報告に、今から三年ばかり前、陸中 上閉伊郡 ( かみへいぐん ) 附馬牛 ( つくもうし )村の山中で三十歳前後の一人の女が、ほとんと裸体に近い服装に樹の皮などを纏いつけて、うろついていたのを村の男が見つけた。 近世の武人などは、主君長上に対して不満のある場合に、無謀に生命を 軽 ( かろ )んじ死を急ぎ、さらば 討死 ( うちじに )をして殿様に御損を掛け申すべしと、いったような話が多かった。

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小林秀雄と柳田国男

此度は半年ほどして、大阪より 下 ( くだ )れり」と云う。 80 years after that, not only the transition is going forward, the significance of the branching of festivals is also advancing. 方々探しぬいていかにしても見当らぬとなってからまた数箇月ものちの冬の晩に、近くの在所の 辻 ( つじ )の 商 ( あきな )い 屋 ( や )に、五六人の者が寄合って 夜話 ( よばなし )をしている最中、からりとくぐり戸を開けて酒を買いにきた女が、よく見るとあの娘であった。 語の起こりはイツキメ(斎女)であったろうが、また一の 巫女 ( みこ )などとも書いて最も主神に近接する者の意味に解し、母と子とともにあるときは、その子の名を 小市 ( こいち )ともまた市太郎とも伝えていた。

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日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論

杓子はなるほど山中の産物であって、最も 敬虔 ( けいけん )に山神に奉仕する者が、これを製して平野に持ち下る習いではあったが、ただそれのみでは神自らこれを重んじ、また多くの社においてこれを信徒に頒与するまでの理由にはならぬ。

先祖の話 角川ソフィア文庫 売却 柳田国男 文庫

姉妹の天降子が天から降りて、野中の泉の傍の木に美しい 飛羽 ( とびはね )を掛け、水を浴びているのを見つけて、その 飛羽 ( とびはね )の一つを 匿 ( かく )した。 [#改ページ] 近江の農村の信仰生活には、不思議に多くの古風が 遺 ( のこ )っているらしいことは、過日彦根の講演でも述べて来たのであるが、今度長浜の会員三田村耕治君が調べて見ようとしているオコナイの風習も、その一例としてかなり興味の深いものである。

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柳田国男 山の人生

これは陸中 下閉伊 ( しもへい )地方でいうことで、他にはまだ類例を知らない。

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日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論

松本三喜夫 『柳田国男と民俗の旅』 吉川弘文館、1992年 - 他数冊が刊• 身元が知れぬのでいろいろの風説が生じ、或いは甲州の山県昌景かといい、信玄の次男の 瞽聖 ( こせい )堂の子かともいい、或いはまた清悦であろうともいった。

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